2007年 07月 23日
覚書~帝釈と阿修羅 |
山辺 習学 「地獄の話」 講談社学術文庫より
~ここに乾坤一擲の大戦闘が開始せられた。
大海の阿修羅王と天界の帝釈との一騎打ちの晴れの舞台となった。
阿王が五百由旬の金山を投げつくれば、帝釈の
白象の鼻から一陣の猛風吹き起こってそれを落下微塵に打ち砕いた。
さらに五百由旬の金剛斉山を投げつくれば、
白象はそれを受け取って、阿修羅王の胸部になげうった。
天軍はこれを機として阿軍に殺到し、両軍互いに死戦したと見れば、
帝釈の大白象は百頭のおのおのに数万無量の帝釈をあらわし、
おのおのの武器をとって阿修羅軍を砕破し、白象の鼻はこのとき動いて、
阿衆を捲いて空中に旋転し、人が鈴をもてあそぶように、死に垂んとしてこれを放した。
四大阿修羅王は死に物狂いになって、いっせいに帝釈に打ちかかれば、
帝釈は得意の金剛雹を放って彼らを撃退した。
かくて阿軍はついに「猛風に吹き破らるる浮雲のよう」に退奔した。
天帝釈と第四地阿修羅王昆摩質多羅との戦いを書いたもの。
阿修羅王昆摩質多羅(びましったら)は阿修羅の大王であり、
能くいっさい諸々の阿修羅を救うもの。
この場面は、滋賀聖衆来迎寺所蔵の「六道絵 阿修羅道図」にも
描かれている名場面。
毎年、8月16日の虫干会(むしぼしえ)に展覧できる。
もっとも本物は、国立博物館に所蔵されている。
出典:長阿含経 世紀経より
由旬=一由旬は約7~9マイル。1マイルを約1.6093kmとして計算すると、
約11.2651~14.4837km。
阿修羅王と天帝釈は五百由旬(約7000キロ)の山を投げあったことになる。
地球の直径は約1万2700キロ。
ちなみに阿修羅王の宮殿は須弥山の北の海の底にあり
敷地の広さ八万由旬(112万キロ) 城の高さ3千由旬(4万2千キロ)
城の広さ1千由旬(1万4千キロ) 城門の高さ1千由旬(1万4千キロ)
7重の塀と、中には7重の欄干(回廊)があり、7重の羅網、7重の行樹ありて
めぐらされて、7宝にて飾られている(とても壮大で立派なことの常套句のようなもの)
四大阿修羅王
第一地 阿修羅王 羅睺(らご)
第二地 阿修羅王 勇健
第三地 阿修羅王 華鬘(けまん)
第四地 阿修羅王 昆摩質多羅(びましったら)
20数年前に読んだ本が最近出てきた、懐かしかったので少し転載させていただきました。
~ここに乾坤一擲の大戦闘が開始せられた。
大海の阿修羅王と天界の帝釈との一騎打ちの晴れの舞台となった。
阿王が五百由旬の金山を投げつくれば、帝釈の
白象の鼻から一陣の猛風吹き起こってそれを落下微塵に打ち砕いた。
さらに五百由旬の金剛斉山を投げつくれば、
白象はそれを受け取って、阿修羅王の胸部になげうった。
天軍はこれを機として阿軍に殺到し、両軍互いに死戦したと見れば、
帝釈の大白象は百頭のおのおのに数万無量の帝釈をあらわし、
おのおのの武器をとって阿修羅軍を砕破し、白象の鼻はこのとき動いて、
阿衆を捲いて空中に旋転し、人が鈴をもてあそぶように、死に垂んとしてこれを放した。
四大阿修羅王は死に物狂いになって、いっせいに帝釈に打ちかかれば、
帝釈は得意の金剛雹を放って彼らを撃退した。
かくて阿軍はついに「猛風に吹き破らるる浮雲のよう」に退奔した。
天帝釈と第四地阿修羅王昆摩質多羅との戦いを書いたもの。
阿修羅王昆摩質多羅(びましったら)は阿修羅の大王であり、
能くいっさい諸々の阿修羅を救うもの。
この場面は、滋賀聖衆来迎寺所蔵の「六道絵 阿修羅道図」にも
描かれている名場面。
毎年、8月16日の虫干会(むしぼしえ)に展覧できる。
もっとも本物は、国立博物館に所蔵されている。
出典:長阿含経 世紀経より
由旬=一由旬は約7~9マイル。1マイルを約1.6093kmとして計算すると、
約11.2651~14.4837km。
阿修羅王と天帝釈は五百由旬(約7000キロ)の山を投げあったことになる。
地球の直径は約1万2700キロ。
ちなみに阿修羅王の宮殿は須弥山の北の海の底にあり
敷地の広さ八万由旬(112万キロ) 城の高さ3千由旬(4万2千キロ)
城の広さ1千由旬(1万4千キロ) 城門の高さ1千由旬(1万4千キロ)
7重の塀と、中には7重の欄干(回廊)があり、7重の羅網、7重の行樹ありて
めぐらされて、7宝にて飾られている(とても壮大で立派なことの常套句のようなもの)
四大阿修羅王
第一地 阿修羅王 羅睺(らご)
第二地 阿修羅王 勇健
第三地 阿修羅王 華鬘(けまん)
第四地 阿修羅王 昆摩質多羅(びましったら)
20数年前に読んだ本が最近出てきた、懐かしかったので少し転載させていただきました。
by omiseo-en
| 2007-07-23 22:04
| 覚書